背中
例に漏らず、最近の僕の中での星野源ブームが5年ぶりくらいに来ているこの頃。
会社の帰り道、また電車代をケチって280円分(40分)歩いて帰った。
ブームなのだからもちろん星野源が耳を塞いでる。
耳から入った星野源が僕の血と肉となりもはや僕は星野源である。
そんなことは置いておいて、
耳を塞ぐ星野源から「生まれ変わり」が流れてきてしばらく、ちゃんと話していない父親を思い出した。
そういえば、この前ガンかもしれないとか言われてたけど違ったとか言ってたなぁ。
そんなことを思い出しながら、父親と過ごした幼い時を思い出した。
父親に手を繋がれて、色々歩いていた。
父親は散歩が好きで生きていく上で必要ないことばかりを知識として貯めて生きていた。
「あれはああなんだってよ」
「これはこうらしいな」
と言いながらいつも雑学を話していた。
その後に流行る、くりーむしちゅー上田のうんちく王よりも先をいっていた。
「知らないよ」と言いながらいつの間にか歳をとって高校を卒業する頃には自分もウンチク王になっていた。
血は争えない。
先週、親戚の葬式があり父親の実家に行って、暇潰しがてらに昔のまま残っている父親の部屋を見てみると自分が最近、買ったものと同じ本が置いてあった。
やはり、血は争えない。
父親が最近、身体が悪くなって健康診断を受けるたびに追加検査を受けるようになった。
なんとかタイミングがあれば若い頃の話を聞きたいなぁと思った。
父親は話さないけれど、若い頃父親は映画の脚本家を目指していたようだとその書斎を見て思った。
ライターになりたくて編集をしている自分とやはり文章を書きたいという根本を共有しているのかもしれない。
大学を中退してライターを目指して編集プロダクションに入る時、父親が僕が小学生の頃、近所のゴミ捨て場の粗大ゴミを漁っておもちゃを取り出し遊んでいた時以来の怒りをみせた。
「文章なんて食っていけないかもしれないことをするのか。」
きっと、父親は夢が叶わないことがあることを僕に言いたかったのかもしれない。
そんな父親は今は築地で働いている。
でも悪いけれど、夢やぶれても貴方のようになれるなら僕はそれでも幸せだなぁと思う。
この歳になり、父親のことが好きなのだなと気付いた。